【時代と空手】練習での氣憶#125~変えて良きものと変えてはダメなもの~


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昨日は、支部練習。昨日は祝日の為人数は少ない中の練習でした。祝日でも様々な予定があるでしょう。そして夏休みに入ったという事もあるでしょう。しかしそんな中でも練習に参加するってのが強くなる為、上達する為には必要な事ですね。
練習は、基本・型から始まりミット組手へ。基本的な流れは同じだけれど各支部は各支部での特徴がある。それは指導者の特徴が出る所である。昨日は指導者がパーソナルトレーナーを仕事にしているので少しそんなメニューが入ったりするのが面白い所です。
支部での特徴が基本や型にでて基本や型が変わってしまってはダメだけれど、それ以外の部分は問題ないと思う。時代が進めば常識の考え方も変わるのは当然である。
例えば、空手の試合も今と10年前・20年前も違うし、戦い方も違う。我々の先輩方の30年前の戦い方は全く違う。それは時間が過ぎ沢山の試合が数限りなく行われそれに対して対策や対応ができ、それを縫って新しい技が生まれてきたからである。
これは空手だけに限った事ではなく、他の競技も同じ事が言える。
なので時代にある程度あわせた変化は必要不可欠である。
しかしその反面で変わってはならない部分もある。それが基本と型の部分だ。ここが変わってしまったら空手が空手で無くなり、ズレたとしても戻れなくなる。勿論その人の理論などは理解する。しかし、それが基本や型を変えてしまったり、やらなくなってしまう理由にはならない。
理由にしてしまうのは、単純に「型や基本が理解できないから」である。根本から出来ていなければ同じ事になる。
では根本から理解する為にはどうするのか?
ひたすら稽古し研究する事である。勿論研究するのであれば様々な経験や知識も必要であるし、時間も必要になる。そして様々な視点とその視点の広さが必要になる。しかし、この研究や稽古が大概違う方向に向いてしまうのが大半である。
なので、様々な会派・流派が生まれている。勿論流派が無いのは論外であるが、そうなってしまったのは理解できる。それは教える方の責任でもあるのからである。教える側の技量が無ければ、知識・経験が無ければ教える時点で違う様になってしまいます。根本を伝えられないからです。
根本を理解する事が如何に大事なのか?伝えていると目の当たりにする。まあそれも面白い所ではあります。自分のやるべき事をやって行きたいと思います。
それではまた~
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