【武道と競技】練習での氣憶#42~競技化が進む弊害~

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昨日は支部練習。昨日も見学・体験から入会した方が参加しておりました。様々な方が剛柔流の空手をそして、朋武館の空手を体感し学んでいく人が増えていくのは嬉しいです。
昨日の方は経験者という事もありカタチは出来ている感じでした。そんな他でヶ意見してきた方が口々に言うのは「全く違う」という事。。
空手は様々ありますが、そんなに違うとは普通は思わないのかなと思います。これは私なりの意見なのですが、本来の空手と言うものある程度は一緒なのでそこまで違う事は無いのです。流派によって立ち方が引き手の位置など細かな所は当然違いますが、全く違うって事は無いはずなのです。
では、何故全く違うとなるのかです。
これは私が思うに競技化が進み過ぎてしまっているからだと思います。
と言うのも空手には様々なルールがあるにしても大きく3つの分類。
・当てないルール(いわゆる寸止めルール)
・顔無しのルール(いわゆるフルコンルール)
・顔有りの当てるルール(硬式空手やグローブ付けたルール)
細かく分ければもっとありますがこんな所。
そんな空手の競技はあくまでも競技。空手は本来流派があり、型や考え方などがそれぞれ流派の特徴があるはずなのです。しかし、競技が進みすぎ流派の特徴ではなく、競技のみの特徴でしかなくなる為普段の練習が競技の為の練習になってしまっている事です。
本来は競技はあくまでも競技であり、競技の際はその特徴を活かした戦い方になるはずなのです。しかし競技中心になってしまうと競技に対する考え方になるので、競技の為の練習になってしまいます。
なので本来の空手の稽古のカタチも変わってしまいます。
実際に、空手の基本や型をやらない空手の道場のあるくらいですし、型も指導者が指導するのではなく先ずはYouTubeみて覚えろって所もあるくらいで指導者が教えない所(多分出来ないし知らない)もあるのが事実です。え~~~って思おうかもですが、これが競技化の弊害です。
私自身、競技がある事は良い事だと思います。しかし「勝つのが正義」になってしまい空手が空手で無くなってしまいます。空手は本来競技ではなく武道です。競技としてだけの空手ではなく、空手は日本の武道であり伝統・文化だと私は思います。なので、早く本来のカタチにして行くべきだと私は考えます。
それではまた~
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