【初稽古】練習での氣憶〜それぞれには意味合いがある〜22030108〜

最終更新日

昨日は、令和5年度(2023年)の初稽古。今年は1月1日が日曜日だった事もあり長い休みとなりました。私が年間で空手の休みが取れるのは年末年始だけなので、かなり今回は時間が取れた吉田です。
まあ取れたと言っても遊んでいる訳ではなく何かしらやってます(笑)

毎年の初稽古にはいつもやっている型稽古とは違い皆の見ている前で型をうってもらいます。
勿論自分の覚えている方をやってもらいますが、覚え中の型でも可能。皆の前でやるので覚えている型はすんなり出来ます。そうでない型は中々やらないものです。

型ごとに出てくる人は変わるのですが、初級者はそんなに多く出来ない。それは当然のことです。しかし、茶帯にもなってこればやれる型も増えて行きます。

そして審査もあるので対象とする型(やらなければならない型)はあります。それは出来て当然です。しかしそれ以外にも型はあるので自ら覚えて行く人は他にも出来る訳です。

そんな場で型をやるって事は、少なからず緊張もするし人に見られるって意識で型をやるのとただ単に型をやるのは明らかに違います。この見られている意識でやる事が大事な事で上手い下手は関係ないのです。

終わった後に、失敗すれば出来なかったなと思う訳です。それはあくまでも自分の中で処理していかなくてはならない事。出来なければ練習すればいいだけの事。結果は後からくる事で次へ繋がる道標になると言う事。

良く上手くないから〜失敗するから〜なんて言ってやらない人がいます。その考え方自体が問題であると言う事。失敗してもいいし失敗したからカッコ悪い訳でもない。

そして失敗したから命を落とす訳でもない。

失敗する事=ダメ・落第者・悪って考え方がそもそもダメなのである。どうしてそうなった思考になってしまうのだろう。。。これは今も続く学校でも教育がそうさせてしまっていると私は思います。
テストの点数が良い内申点が良い=頭がいい・できる奴・正しいってなっている所。そしてそこから外れる奴は間違い・悪い奴になっています。

人それぞれ考え方が違うし、出来る事も得意な事も不得意な事もそれぞれ違う。それが人間です。

しかし、現状は記憶力の良い奴=頭のいい奴・良い人になっています。

なので練習では間違っても良いし、失敗してもいい。正直何度でも失敗したら良い。そして本番を迎えた時にその失敗が活かされ成功すれば良いし結果となれば良い。

いつしかのblogかNOTEにも書いたと思いますが「失敗する経験を積む事」は大事な事で誰もが経験していかなくてはならない事。それを小さな失敗の積み重ねで経験しておけば、大きな失敗のリスクは小さくなって行くし、大きな失敗をしてもダメージは小さくなる可能性がある訳です。

失敗するからダメ!出来ないからダメ!ではなくやってみると言う事。これはあくまでも全く知らない事をいきなり大舞台でやれ!恥をかけ!と言ってる訳ではありません。ちゃんとやって学んでいけって事です。

そして様々な挑戦をするのに必要な事を導き出すのはそんな失敗からの経験であったりします。

どんな練習や行う事には意味があります。

意味のない事は何一つないのです。

それではまた〜

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愛知県 春日井市出身・在住 幼少より剛柔流空手を修行し、高校時代よりボクシング・キックボクシング・柔道・柔術など他の武道・格闘技を修練。 現在、空手道剛柔流朋武館を設立。合わせて武道・格闘技道場BreakThroughを主宰し後進の指導にあたる。 師より学んだ剛柔流空手を中心に向こう300年残して行くにはどの様にしたら良いのか研究し実践する『武道LABO』をスタート。 一般的に「武道っていいよね!」と言われる様にと入り組んでおります。

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